日本一の酒どころ「灘」とは?「灘の生一本」と灘五郷!「日本酒 灘」
酒好きが「灘」と聞けば、日本一の酒どころとピンとくることでしょう。
灘は江戸時代中頃から「下り酒」の産地として、大発展を遂げてきました。
また現在でも灘の酒は生産量・品質とも日本一です。
では、灘とは一体どんなところなのでしょうか。
今回は、日本一の酒どころ「灘」とは・「灘の生一本」と灘五郷について、どこよりもわかりやすくご紹介します。
そもそも「灘」とは何か?
灘とは、兵庫県神戸市東部の灘区から西宮市の甲子園球場辺りまでの海岸沿いの全長12キロにおよぶ地域のことです。
この地域のことを「灘五郷(なだごごう)」といいます。
灘五郷は次の5つのエリアから構成されています。
1⃣西郷(にしごう)
2⃣御影郷(みかげごう)
3⃣魚崎郷(うおざきごう)
4⃣西宮郷(にしのみやごう)
5⃣今津郷(いまづごう)
灘五郷は日本一の酒どころで、現在でも日本酒生産量日本一です。
灘五郷の5つのエリアと日本酒ブランド
灘五郷は5つのエリアがあり、各エリアには日本有数の日本酒ブランド10社があります。
10社は「灘酒研究会」を発足、日々「灘の酒」に関する情報発信をしています。
灘五郷の5つのエリアにある「灘酒研究会」加盟の日本酒ブランドは次の通りです。
各エリアはそれぞれ川を挟んで分割されています。
❶西郷エリア
西郷エリアは兵庫県神戸市灘区新在家・大石地区にあります。
灘五郷の中でも最も西側で、都賀川と石屋川に挟まれています。
「灘酒研究会」のメンバーは次の1ブランドです。
1⃣沢の鶴(沢の鶴株式会社)
❷御影郷エリア
御影郷エリアは兵庫県神戸市東灘区御影・住吉地区にあります。
御影郷エリアは、西郷エリアの東隣で、石屋川と住吉川に挟まれています。
「灘酒研究会」のメンバーは次の3ブランドです。
1⃣白鶴(白鶴酒造株式会社)
2⃣剣菱(剣菱酒造株式会社)
3⃣菊正宗(菊正宗酒造株式会社)
❸魚崎郷エリア
魚崎郷エリアは兵庫県神戸市東灘区魚崎・本庄地区にあります。
魚崎郷エリアは御影郷エリアの東隣で、住吉川と芦屋川に挟まれています。
「灘酒研究会」のメンバーは次の3ブランドです。
1⃣浜福鶴(株式会社小山本家酒造)
2⃣櫻正宗(櫻正宗株式会社)
3⃣道灌(太田酒造株式会社)
❹西宮郷エリア
西宮郷エリアは兵庫県西宮市浜脇・用海地区にあります。
西宮郷エリアは魚崎郷の東隣で、芦屋川と夙川に挟まれています。
「灘酒研究会」のメンバーはいません。
❺今津郷エリア
今津郷エリアは兵庫県西宮市今津地区にあります。
今津郷エリアは西宮郷エリアの東隣で、夙川と武庫川に挟まれています。
「灘酒研究会」のメンバーは次の3ブランドです。
1⃣白鹿(辰馬本家酒造株式会社)
2⃣日本盛(日本盛株式会社)
3⃣大関(大関株式会社)
また灘五郷の5つのエリアには「灘酒研究会」の10ブランド以外にも多くの日本酒ブランドが創設されています。
「灘の生一本」とは何か?
灘の生一本とは、灘五郷でつくられる日本酒のことです。
ただし「灘の生一本」と名乗るにはいくつかの条件があります。
灘の生一本の読み方は「なだのきいっぽん」と読みます。
「灘の生一本」の名称は灘の酒のブランド保持が目的
「灘の生一本」の名称は灘の酒のブランド保持が目的で名づけられました。
江戸時代に灘でつくられたお酒が江戸で大人気だったことから、偽物の灘の酒が横行します。
偽物の灘の酒と区別するためにブランド保持目的で、本物の灘の酒に「灘の生一本」というブランド名がつけられました。
「灘の生一本」にはどんな意味があるのか?
「灘の生一本」には次のような意味があります。
1⃣混じりけがない
2⃣本物への職人のこだわり
3⃣生粋のお酒
4⃣原酒
5⃣純粋無垢な灘五郷産の日本酒
また、語感の響きがよいことから、灘五郷産のお酒のキャッチコピーとしても利用されています。
もともと「生一本」という言葉も「灘の生一本」からです。
「生一本」には、男らしくて、一本筋が通った「男酒」という意味もあります。
灘が日本一の酒どころになったのはいつごろからか?
灘が日本一の酒どころになったのは、町人文化が華やかだった江戸時代の元禄頃からです。
それ以前の酒どころは伏見・伊丹・池田の内陸地でした。
ところが内陸地は港までのお酒の運搬に労力やコストが余計にかかります。
そこで商機を見出した商人たちが、一気に海沿いの灘で本格的に酒づくりを開始したのが、灘が日本一の酒どころになったきっかけです。
その後、江戸時代後期になった頃には、江戸で飲まれるお酒の8割は灘のお酒になりました。
灘が繁栄した理由とは?
灘が繫栄した理由は次の通りです。
1⃣港が発達しており、大量の酒樽を船に載せて全国に行きわたらせることができた
2⃣冬に吹く「六甲おろし」が蒸米を適温に冷やしてくれた
3⃣大量の酒米を調達できる港があった
4⃣六甲山系の水が酒づくりに適していた
まとめ
今回は、日本一の酒どころ「灘」とは・「灘の生一本」と灘五郷についてご紹介しました。
江戸時代の中頃から、現在にかけて灘の酒どころは繁栄を続けてきました。
ところで灘の酒蔵は、大量生産をしながらも、昔ながらの製法や伝統を大切にしながら酒づくりを続けています。
そのおかげで我々はリーズナブルで、おいしいお酒をいつでも飲むことができます。
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